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ごあいさつ

初めまして、神奈川県平塚市桃浜町の『永井ピアノ教室』講師の永井美果と申します。2年半ほど、夫の仕事の関係でドイツに住んでいましたが、2022年からピアノ教室を再開し、現在は4歳から70代の大人の方に通っていただいております。高校生、中学生2児の母親、反抗期真っ只中の娘達にもピアノを教えておりますが、いかに身内に対してキレないで感情をコントロールするか修行中です。趣味は読書、英会話、テレビ体操大好物チーズ&チョコレートです。

 

体験レッスンは、4歳(年中)から受け付けており、右手と左手の区別がつく、数が数えられる、ひらがなを読めて少し書ける、ゆびの名前がわかると(お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、赤ちゃん指)、毎回のレッスンで新しいことを3つほど覚えて帰れるのでレッスンを順調に進めることができます。

以前ピアノを習っていたがやめてしまいまた最近やりたくなった、大人になって新しい趣味を持ちたい、ピアノを始めてみたい、憧れの曲に挑戦したい、譜読みが苦手なので訓練したい等、生徒さんそれぞれのピアノに対する想いに寄り添いながら楽しくレッスンしております🎶
最近は大人になってから新たにピアノを始めるという方がご入会されています。

講師プロフィール

ピアノが弾けて楽しい!と感じられるよう読譜力を高めながら生徒さん、ひとりひとりの目標と状況に応じ、歌いながら丁寧にレッスンを行います。一緒に歌いながら弾きませんか。

永井 美果

東京都国立市出身、6才よりピアノ講師である母(桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ専攻卒)の手ほどきでピアノを始める。

1989年、高校2年生から父の転勤でアメリカに在住。

1995年、オバリン音楽大学(Oberlin Conservatory of Music,アメリカ,オハイオ州)ピアノ科卒業。

1997年桐朋学園大学音楽部ディプロマコース、ピアノ科卒業。

ドイツ、リューベック音楽大学(Musikhochschule Lübeck)マスタークラスにてホイットヴァンガー師のクラスに参加。これまで、朝倉 伊佐子氏、村松伸子氏、荻野千里氏Joseph Schwartz氏北村陽子氏に師事。合唱団(明治学院大学混声合唱団グリーンリーブス)の伴奏、島村楽器音楽教室のピアノ講師を経て、実家(東京都八王子市)、自宅(神奈川県平塚市)にてピアノ教室を開業。

2019年、夫の仕事のためドイツに在住。

帰国後、2022年より神奈川県平塚市桃浜町で『永井ピアノ教室』を再開。


ピアノライフ生い立ち

5歳から1年間、幼稚園敷地内のヤマハ幼児科科グループレッスン(エレクトーン)に通ったのち、6歳から本格的にピアノを習い始めました。先生は母親でした。当時のレッスンの様子は全く覚えていませんが、練習していると、母が台所からおたまを片手にすっ飛んできて、「そこの音、リズム違う」とか、言われた記憶はあります。

小学校の音楽会伴奏で選ばれたりと今までの練習が実を結ぶ喜びを感じつつ、6年生の時、反抗期&ピアノの練習が億劫になり、【ピアノ辞めたい】宣言、半年間全くピアノに触りませんでした。今まで毎日練習していたピアノをやらなくて良くなりやったぁ〜と開放感万歳、暫くは、ルンルンでしたが、何かがもの足りない。。。ピアノ練習が生活の一部となっていたため生活にハリがない。
そんな中、小学6年生の卒業文集で将来の夢というテーマで作文を書かなければならず、どうしよう。。。(6年生の時点で普通は将来の夢、決まっていませんよね)得意な教科や勉強が好きなわけでもなく、自分の特技を考え、ピアノの先生になりたいと書きました。私にはコレしかない、コレで行こうと。
中学生から、心機一転、母親より、他人の方が良いだろうと外部の先生に師事。中学生となれば、部活&青春ですよね。1年だけバトミントン部に所属。日本の音楽大学を目指す準備を進めていましたが、父の海外転勤で、高校2年生の時、アメリカ、オレゴン州に移住。英語がしゃべれない中、学校のコーラスの伴奏、コンクールに出場したり、音楽には国境がないと自分の居場所を見つける。
オハイオ州、オバリン音楽大学(Oberlin Conservatory of Music) ピアノ科卒業後帰国、大学も英語で悩まされ(実技、ソルフェージュや楽典はOK、論文、音楽史や一般教科が大変でした)卒業するのがやっとで、就職活動ゼロ。帰国後は桐朋学園大学音楽部ディプロマコースに席を置きながらバイト&就職活動、翌年に島村楽器でピアノ講師として働き始め(3年間)、指導担当や先輩講師にピアノ指導にあたっての導入、教材選び、発表会選曲等ノウハウを叩き込まれる。
実家、東京都八王子市で母とピアノ教室を開業。2004年結婚のため神奈川県平塚市に引っ越し、自宅でピアノ教室を開業。2006年長女誕生、アメリカで運転免許を取得したため、日本での運転はペーパードライバー、2回ほど教習所に行き(縦列駐車は今でも苦手)克服。片道2時間赤ちゃんを連れて八王子でレッスン(運転中大泣きで着く頃に寝るパターン)、実家のレッスン中は母に子供を預け、平塚の自宅でのレッスン中はファミリーサポートや保育園の一時保育を利用しました。2009年に次女誕生、長女が小学校へ上がるのを機に、平塚の自宅ピアノ教室のみに切り替え現在に至る。